2009年12月25日
天安門の場所
天安門の場所に建てられた最初の城門は、紫禁城を建設した明の永楽帝時代の1417年に建設された「承天門」である。この門は1457
年に落雷で焼失し1465年には再建されるが、1644年の李自成の北京攻撃によって明王朝が滅亡した際に再度焼失した。現在の門は清
の順治帝時代の1651年に再建されたもので、このときに現在の天安門という名に改名された。
この天安門という名称は「天上の平和の門」という意味にも取れるが、満州語の名称は「天命を受けて安定した(平和な)国を治め
る」の意であり、それを省略した形が「天安門」と考えられる。なお、昔は紫禁城の北にある景山のさらに北に「地安門」があった
。
明・清両王朝時代は、大きな法律や命令は最初にこの門から発表された。また、出発したり凱旋する軍隊を皇帝が謁見する場所でも
あった。
1949年10月1日に行われた中華人民共和国の建国式典で、毛沢東は建国宣言をこの門の上で行った。それ以降この門は中華人民共和国
の象徴とされる。1952年と1970年には大規模な改修が行われている。
かつては紫禁城の正門であったが、現在の故宮博物院の正門はさらに北にある「午門」となっている。
中央の通路のすぐ上には毛沢東の巨大な肖像画が掲示されている。肖像画の縦は約6メートルある。建国当時は軍服姿の毛沢東の肖像
であったが1950年代半ばに人民に親しまれるように「人民服姿の毛沢東」に改められた。(※1960年説もあるが、1959年の建国10周
年国慶節の映像を見るとすでに人民服姿である。)当初は張仕振が描いた完全な絵であったが、現在は写真をもとに精密に描かれた
ものになっている。肖像画の絵は少なくとも建国から今日まで4回バージョンが変わっている。軍服姿(1949年~50年代半ば)→真正
面からの人民服姿(50年代半ば→60年代半ば)やや斜めを向いた人民服姿(60年代半ばから80年代=毛主席語録にも採用されている
有名なもの(参考))→現在の真正面からの人民服姿)。現在の肖像画は画家・葛小光の作品である。この肖像画は油彩式で、国慶
節の前日9月30日に塗り替えられ、10年ごとに更新される。1989年の六四天安門事件(第2次天安門事件)では学生が投げた(とされ
る)ペンキで汚されたことがある。なお2006年には60年代半ばから掲げられたバージョンの肖像画の元絵がオークションにかけられ
た、と人民日報が報じた。
肖像画の両側には左に「中華人民共和国万歳」、右に「世界人民大団結万歳」という大きなスローガンが掲示されている。なお、建
国時に掲げられたものは「中央人民政府萬歳」と「世界人民大團結萬歳」であったが、1950年に左側のスローガンのみ現在の内容に
変更された。また、当初は繁体字(旧字体)だったが1964年に簡体字に変更された。また、1970年に木製から金属製に変更された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
中華人民共和国の北京市東城区に位置しています。
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